
『ロシア宇宙主義全史 神化思想からトランスヒューマニズム・人新世へ』(講談社)著者:乗松 亨平
宗教、科学、芸術にまでまたがる精神性
一九世紀から二〇世紀にかけてロシアで地下水脈のように受け継がれてきた独自の思考の営みが注目され、「ロシア宇宙主義(コスミズム)」と呼ばれるようになったのは比較的最近のことだ。その射程は長く、ソ連がアメリカとの宇宙開発競争に勝って宇宙に一番乗りしたのも、宇宙主義の思想的土壌があってのことだった。本書は容易には定義できないこの思潮の全体像を捉えようとする、日本で初めての本格的な概説書であり、宇宙主義を代表する何人かの思想家の著作を丹念に読みほどいていく。まず始祖として登場するのがフョードロフ(一八二九―一九〇三)。ロシア正教に依拠する宗教哲学者で、彼の「全思想は、(死者の)復活を実現し、死を否定することを目的と」していた。そして人類が一丸となって取り組むべき神聖な「共同事業」とは祖先たちを全て復活させ、不死の共同体を地上に実現することであり、人類は人口の増えすぎた地球を離れて宇宙に進出して行く。また、人類は科学技術を用いて地球全体の自然を思うままに統御できるようになる。
フョードロフの思想は、後世に隠然たる影響を与えた。血液交換(輸血)によって人類の集団的な不死が実現すると考えた共産主義者ボグダーノフ。宇宙ロケット工学の先駆者でありながら、宇宙を構成するすべての原子には感覚があるという汎心(はんしん)論を唱えたツィオルコフスキー。生物地球化学という分野を切り開き、地球全体を生物圏さらには精神圏として捉えたヴェルナツキー。
独創的だが、常識を超えて突飛、オカルト科学に通じるような面もある。しかし乗松氏はひるまない。特に、人間の進化(キリスト教的な「神化(テオーシス)」から「能動進化」論まで)と、個と全体の調和といった話題を深く掘り下げ、後者については「統計学的理念」という軸を導入することによって、宇宙主義特有の目的論的思考を相対化する視点を提示する。
本書の立場の際立った特徴は、第一にロシア宇宙主義の根底にある考え方はロシアだけの特別なものではないとし、西欧のさまざまな哲学や科学と関係づけていること。第二に、ロシア宇宙主義をよい面と悪い面の両方が絡みあった複雑さのうちに捉えていること。そして宇宙主義が孕(はら)む、全体主義や帝国主義につながる危険性を指摘することも忘れない。このように批判的な距離を保った冷静な姿勢のおかげで、この『全史』は今後長きにわたって参照されるべき信頼できる基本文献となった。
ロシア宇宙主義は宗教・科学・芸術の三つの分野にまたがって展開した知られざる「もう一つのロシア」であって、そのインパクトはロシア・アバンギャルド芸術の再発見にも匹敵する。そこには小さな個(ミクロコスモス)から広大無辺の宇宙(マクロコスモス)にいきなり接続するような目くるめく飛躍の感覚や、すべての人々を救済しようとする過激な最大限主義(マキシマリズム)がある。ひるがえって現代世界を見ると、不老不死や宇宙移住が倫理を欠いたアメリカの大富豪たちのビジネスになりつつあるだけに、いまこそロシア宇宙主義の持っていた深い精神性を振り返るべきではないかと思う。
【初出メディア】
毎日新聞 2026年4月25日
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