
『刑務所で当事者研究をやってみた: 対話実践とチーム処遇が扉をひらく』(医学書院)著者:向谷地 生良,村上 靖彦
累犯障害の受刑者と向き合う
「『科学性』『専門性』『主体性』といったことばだけでは語りきれない地点から≪ケア≫の世界を探ります」という「シリーズ ケアをひらく」の一冊である。ケアは、現代社会を象徴する課題と言ってもよい。子ども、老人、病人、心身障がい者……いや、あらゆる人がケアを求めている。そこでケアの研究が必要となるのだが、著者らは専門家が対象を客観的にみて事実を明らかにするという研究法をとらない。当事者研究と名付け、ケアを必要とする当人と共に考えていくのである。当事者は、「刑務所という非日常の世界で(中略)『もっともかかわりが難しい』と言われていた受刑者Aさん」だ。6歳の時に万引きをした後窃盗をくり返して40代半ばの現在までに6回も服役した「累犯障害者」である。研究チームは、著者らと浦河べてるの家(当事者研究が日々行われている場)のスタッフ、札幌刑務所の刑務官にAさんの八名で、二年弱の間、月一回の会合を持った。
この研究が始まった理由は、法務省の中にそれに関心を持つ人がいたからだが、もう一つ、100年以上続いてきた日本の刑法の変化がある。懲役刑、禁錮刑が廃止され、拘禁刑への一本化が控えていたからだ。刑務所が、受刑者の人権への配慮と更生、社会復帰への支援という方向に舵(かじ)を切ったのである。
Aさんは母子家庭で、母親の再婚相手に父親という感覚を持てず、中学生になると好きな一人旅をするためにお金を盗み始める。人付き合いは苦手で、日常生活が管理されている刑務所なら暮らせるが、社会では何をやってよいのかわからないという状態だった。ところが話し合いを続けるうちに、「人と人との付き合い方」に関心が向き、「わからないことがあっても、困ったら担当さんとかに相談して対処する」という言葉を出し、相談したいのに職員が忙しくて面接できなかったことを残念がるようにもなった。これこそ当事者研究の成果だ。「自分の人生の主役は自分であると気づくことと、周りの人に相談しても大丈夫だという信頼感を得たこと」と著者はまとめている。
この研究に加わった刑務官Xさんは、Aさんが当事者研究の日を楽しみにしており、自分の居場所を見つけたようだと語り、刑務所での日常とこの会の違いは、「訊く」と「聴く」だと指摘する。仕事柄、つい「それってこういうことなの?」と訊いてしまうが、話を聴かなければ相談相手にはなれないことに気づくのである。当事者研究で大事にするユーモアを、刑務所ではちょっとと考え込むXさんが微笑(ほほえ)ましい。その後刑務所に、聴く姿勢が生まれたとのことだ。「(拘禁刑への)転換を図るなかで、対話の場をつくり出す努力、刑務官一人ひとりがケア的な意識と技術をもっていく変化は、社会復帰のためのケアの場へと刑務所を変えていくための大きな鍵となるだろう」
Aさんと、その後研究に関わったBさん、Cさんは共に、出所後“順調に”三者三様行方をくらましたという「あとがきのあと」での報告が面白い。しかし三人共刑務所には戻っていない。「シャバより刑務所のほうがマシ」でなくなっているのだとしたら研究成果ありだ。
【初出メディア】
毎日新聞 2026年4月25日
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