米国防長官、聖書を引用して祈る⇒実際は映画の殺し屋の台詞だった。大失態にSNSで「ピート・フィクション」など皮肉相次ぐ

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アメリカのピート・ヘグセス国防長官が4月15日に国防総省で開いた礼拝で、聖書の一節ではなく、映画に出てくる台詞を引用して祈りを捧げたことが、物議を醸している。

ヘグセス氏が引用したのは、イランで行われた戦闘捜索救難(CSAR)の任務「サンディ1」で唱えられたとされる祈りだ。

「彼らはこれをCSAR 25章17節と呼んでいるが、おそらくエゼキエル書25章17節を反映しているのだと思う」と述べ、次のように祈りを捧げた。

「撃墜された飛行士の進む道は、心悪き者の利己と暴虐によって行く手を阻まれる。仲間意識と義務の名のもとに、暗黒の谷で弱き者を導くその者に神の祝福を。彼こそ兄弟を守り迷い子たちを見つける者なり。私の兄弟を捕え、滅ぼそうとする者に私は怒りに満ちた懲罰をもって大いなる復讐をなす。私が彼らに復讐をなす時、私のコールサインがサンディ1である事を知るだろう」

ヘグセス氏はこの祈りをエゼキエル書25章17節を反映したものとして紹介したが、実際には1994年の映画『パルプ・フィクション』でサミュエル・L・ジャクソン氏が口にするモノローグに由来しているとされる。

『パルプ・フィクション』ではジャクソン氏が演じる殺し屋ジュールス・ウィンフィールドが、人を射殺する前に、エゼキエル書25章17節だと言って次のような言葉を口にする。

「心正しい者の歩む道は、心悪き者の利己と暴虐によって行く手を阻まれる。愛と善意の名のもとに、暗黒の谷で弱き者を導くその者に神の祝福を。彼こそ兄弟を守り迷い子たちを見つける者なり。私の兄弟を毒し滅ぼそうとする者に私は怒りに満ちた懲罰をもって大いなる復讐をなす。私が彼らに復讐をなす時、私が主である事を知るだろう」

実際の聖書のエゼキエル書25章17節はもっと短く、次のように記されている。

「わたしは怒りに満ちた懲罰とともに、大いなる復讐を彼らにもたらす。わたしが彼らに復讐をもたらす時、彼らはわたしが主であることを知るだろう」

『パルプ・フィクション』の脚本・監督を務めたクエンティン・タランティーノ氏は、作品に出てくるエゼキエル書25章17節のモノローグを日本の映画『ボディガード牙』に着想を得て作ったとされている。

ヘグセス氏がCSARで捧げられたと紹介した祈りについて、国防総省のショーン・パーネル報道官は16日、「明らかに『パルプ・フィクション』の台詞に着想を得ている」とXに投稿。

実際の聖書の一説ではないという指摘を認めつつも、「ヘグセス長官が礼拝で述べた通り、祈りと映画のシーンはいずれもエゼキエル書25章17節を反映したものです。長官がエゼキエル書25章17節を誤って引用したという主張はフェイクニュースの拡散であり、実際の内容を理解していない」と主張した。

それでも、国防長官が映画に出てくる偽の聖書の一節を使って祈るという事態に、SNS上には数多くの批判や皮肉が投稿されている。

ニューヨーク・タイムズのニコラス・クリストフ記者は「リーダーが神と映画を取り違え、自分たちの背後に神がいるかのように示唆するとは。私たち全員が混乱の中にいることを示している」とXでコメントした。

ジャーナリストで作家のジェームズ・ノース氏も「旧約聖書『タランティーノ書』ですね」と皮肉を投稿している。

他にも、ヘグセス氏の祈りと『パルプ・フィクション』のジャクソン氏のモノローグを比較する動画や、ユマ・サーマン氏が寝そべってタバコをふかす『パルプ・フィクション』のポスターをヘグセス氏に置き換えて『ピート・フィクション』と揶揄する画像などもある。

ヘグセス氏の祈りをめぐる失態は、トランプ政権とカトリック教会との間で緊張が高まる中で起きた。

トランプ大統領は12日、イラン戦争などを批判したローマ教皇レオ14世を「犯罪に甘く、外交はひどい」とトゥルースソーシャルで批判。同日には、自身をイエス・キリストのような人物として描いたAI画像を投稿し、「冒涜的だ」と非難を招いた。

ヴァンス副大統領は14日に行われた保守系若者団体のイベントで「教皇は神学の問題について語る時に慎重であるべきだ」と発言している。

ハフポストUS版の記事を翻訳・編集・加筆しました。

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