春は浮かれるだけの季節ではない。『煙と水晶』の間で揺れる日食なつこの美学

19 時間前 1

希望に胸が高鳴る、新たな出会いの季節。「春」を題材にした曲はそんなモチーフが多い。しかし、ピアノ弾き語りソロアーティストの日食なつこさんは4月発売のニューシングル『煙と水晶』で、春に対して、そして、「花」である「あの子」に対する複雑な気持ちを軽やかに、そしてドラマティックに歌い上げている。

印象的なタイトルや、自分のルーツに根付いた季節の捉え方、音楽活動への向き合い方を聞いた。

「煙水晶=スモーキークォーツ」の表現に惹かれて

―「煙と水晶」は春がテーマの曲ですが、希望や出会いに胸を膨らませるようないわゆる“春うた”とは異なりますね。どのような経緯で制作を始めたのですか?

日食なつこさん(以下、日食):数年前に煙水晶、スモーキークォーツと呼ばれる石の存在を知ったんです。固体である水晶を煙という気体で表現するネーミングに感銘を受けて、いつかこの言葉を使いたいなと考えていました。

ジャケット写真でも使用された煙水晶を手のひらにのせて
ジャケット写真でも使用された煙水晶を手のひらにのせて

川しまゆうこ

春って、入学や入社で生活の根幹が大きく変わるタイミングで、自分もグラっと動いてしまうことが多かったので、似た経験をした人は多いのではないかなと。桜とか新たな出発とか、前を向いている曲が多い中、そうじゃない人もいるぞという思いもありました。

春の揺らぎって、もうどこにも動いていけない水晶みたいな感覚もあれば、次の日には一瞬で消え去ってしまう煙のように、日替わりで変わっていくような、いい意味での不安定さがあるので、ついにこの言葉を使うときが来たぞって引っ張り出した感じです。

―満を持してのタイトルだったんですね。「迷い⽅すら美しいあの⼦のように 存在しているだけで許される側でいたかった」 という歌詞は、実体験に基づくものだったのでしょうか。

日食:ピアノの弾き語りを始めて、東京に出てきて音楽活動をしていく中で経験したものも含めて様々な実体験に基づいています。

自分と他者のステージや音楽を比べていく過程で、「ライブがうまくいかなかった」とか「自分の音楽がお客さんにうまく届いているか分からない」って迷う姿すら絵になる、芸術になる人っていいな、ずるいなって場面が現れたんです。

悩んでいる姿さえ花のように見える人生なんて、葉っぱのような私には一生来ないんだろうなって思いがあって。

インタビューに答える日食なつこさん
インタビューに答える日食なつこさん

川しまゆうこ

 一番大事な歌詞は最後まで聴いてくれた人のために

―「迷い方すら美しい」っていうのは見た目の話なんでしょうか。それとも…

日食:あり方、ですね。

若かった当時は、自分の迷いを他者に共有することを、言葉を選ばずに言うと愚かさみたいに捉えていたところがありました。そういう思いは自分で片付けるべきだって思ってもいましたし、他者に向けていた部分もあるかもしれません。

それこそ「煙と水晶」で、「自分を崩さないためにそういうことは言うまい」と思っていたのは水晶で、「私もああいう風になれたらな」って思うのは煙なんですよね。

20代はゴリゴリの水晶だったので「いかなる美しさが周りにあっても私は揺るがない」って思っていたけれど、30代になってからは少し省みて「その子の美しさも受け入れよう」って「煙と水晶」になれた気がしますね。

―感情の変遷も含まれているんですね。

日食:私の人生にずっとついて回る一文なのかなと思います。曲を作っていた当初は1サビで言い切ってもいいかなと思っていたんだけど、あえて曲の後ろの部分に持っていきました。世の中の大半の曲って、サビの部分が一番聞かれるものだけど、結構強い一文なので最後まで聞き進めた人にしか与えられない部分にしちゃおうと思って。

川しまゆうこ

川しまゆうこ

本当にやりたいことができる冬が終わってしまうのが春

―春の陽気や浮かれた感じが日食さんは苦手なのでしょうか?

日食:いや、お花見とかは好きですよ。ただ単純に冬が大好きなんですよね、岩手出身で原風景が雪なので。

歌詞の冒頭でも歌っているんですけど、雪解けがほんと嫌いで。道は汚れるし、靴も汚くなるし。冬が終わるという意味で、自然現象として春が苦手なんです。

―待ちに待った春が来たという感覚ではないんですね。

日食:雪に閉ざされてしまう地域にとって、冬は本当にしたいことを籠ってするべき季節、何かに備える季節なんです。その時期に色々なことを考えて、作り出していた記憶があります。

飽きないために音楽をルーティーンにしない

―日食さんも冬の間はそんな感じでピアノを弾いていたのかなと想像しました。365日ピアノを弾かない日はないくらいの感じなんでしょうか。

日食:いえ全然。弾きたくなかったら1カ月近く弾かないときもありますよ。弾かないでいると、その分取り戻すのが大変ですけど(笑)。

弾くことが日常風景にならないように、飽きないように調整している感じです。

インタビューに答える日食なつこさん
インタビューに答える日食なつこさん

川しまゆうこ

―日常風景にならないとは?ルーティーンにしないということでしょうか。

日食:ルーティーンにしないと技術は落ちてしまうので、どこかで1日6時間弾くみたいな期間は挟まないといけないんですが、レコーディングの谷間とかツアーがないとか必要がない時はピアノを見ることもないんですよ。

ピアノを弾かない人から見たら「こんなに上手に弾けてすごい!」と思うようなことって、実は基礎中の基礎なんだけど、基礎中の基礎をどんどん玄人向けに詰めていくと凝り固まっていくような気がするんです。

特別なものが特別じゃなくなっていくし、曲が書けることだって奇跡であるべきなので、流れ作業のように当然の風景にならないようにしたいんですよね。

―常にフレッシュな気持ちでいるための戦略なんですかね。

日食:そこは結構戦略的にやってるかもしれませんね。

今は活動を始めて17年目ですが、本当に奇跡だと思っているんです。続けようとか、この職業で食べていこうって強い気持ちがあったわけじゃなくて、奇跡の食いつなぎで、気がついたらここにいられた感覚なんですよ。

今後もどこまで行くんだろうって傍観者のように見ているところもありますね。

だから、自分自身としてはあまり意味を持たせることなく、流れるように曲を書いて、20周年に突入するなら突入するで、そのままやっていけたらと思っています。

でもそうすることでずっと音楽を好きでいられるし、自分でお金を払って見に行くことが嬉しいと思えるので、自分が観客として飽きないための調整作業をずっとやっている感じですね。

「葉っぱ」に手を伸ばす日食なつこさん
「葉っぱ」に手を伸ばす日食なつこさん

川しまゆうこ

花が羨ましくなることもあるけれど葉っぱでいるのは楽

―ちょっと意外な気もしますが、先ほど「自分は花ではなくて葉っぱの人生」と話していたのも繋がっているんでしょうか。

日食:自認は葉っぱですよ、葉っぱのほうが楽できます。だって、花と比べると葉っぱを見ている人は多くないですから。花に対する羨ましさもある一方で、やっぱり花として生きていくには責任もあるし、輝こうと頑張る人が多いと思います。

歌詞の「綺麗な花も ただ咲いてはない気がする」はまさにそういうことで、1日でも長く咲き続けなきゃいけないとか、ちょっとでも大きな花びらを広げなきゃいけない努力を、色んなジャンルで多くの人がしているわけですよね。

―花には花なりの苦労があるのだと。

日食:これまであまりアーティスト同士の交流をしてこなかったんですけど、どんな風に活動しているのか勉強しようと現場に行くようになったんです。そうすると、自分のやりたいことを100できているんだろうなって人が、実際に100やっているなんてことはまずないんですよ。

それに対して、私は今まで好きなようにやらせてもらって、「こうした方がいいんじゃないか」って声もたくさんあったけど、自分に反していることはほぼなかったので、傍若無人に伸びた葉っぱなんだって思います。

生まれたままを客に食わせている、ずるい葉っぱなのかもしれないですね(笑)。

記事全体を読む