広島への原爆投下によって、奇妙な新物質が生み出されていた

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広島の原爆が生んだ「ヒロシマアイト」という物質

広島の原爆が生んだ「ヒロシマアイト」という物質広島の原爆が生んだ「ヒロシマアイト」という物質 / Credit: U.S. Army, “Firestorm cloud over Hiroshima (from Matsuyama)” (1945) / Public Domain, via Wikimedia Commons

1945年8月6日、原子爆弾は、市街地の上空およそ600メートルで炸裂しました。

威力はTNT火薬にしておよそ1万5000トン分。生まれた火の玉の温度は、摂氏7000度を超えます。

太陽の表面がおよそ5500度ですから、太陽より熱い球が、街の真上に現れたことになります。

この熱の前では、硬いものと柔らかいものの区別はありません。

火球に近いところでは、鉄骨も、ガラスも、瓦も、土も水も、固体のまま残ることを許されませんでした。

火球に巻き込まれたのは物質だけではありません。そこには人の暮らしと命がありました。

この爆発により、その年の暮れまでにおよそ14万人が亡くなったとされ、市内の建物の約7割が破壊・焼失したとされています。

そうして原爆の熱はあらゆるものを気体、さらには電子がはがれたプラズマの状態にして、空高く立ちのぼる雲に変えていきました。

しかし蒸発した物体は、そのまま消えたわけではありません。

火の玉がふくらみながら冷えていくにつれ、気体は小さな液の玉に戻り、そのまま固まって、広島一帯に降り注ぎました。

砂粒ほどのガラス質の玉です。

2019年の研究で初めて報告され、研究上「ヒロシマアイト」と呼ばれるようになりました。

固まるまでにかかった時間も、すでに見積もられています。

2024年の研究のモデルによれば、大部分が固まったのは、雲がおよそ2900度から700度まで冷える間のこと。時間にして、1.7秒から5.5秒です。

まばたきほどの間に、蒸発したガラス質の中にさまざまな元素が取り込まれ、ヒロシマアイトになりました。

今回の研究を行ったビンディ氏は、この火の玉を「巨大な偶然の物質科学実験室」と呼び「火の玉は、それまで存在しなかった物質を残していきました」と述べています。

街を構成していた鉄や銅、アルミニウムといったさまざまな金属が、僅かな時間で急速に固まって、小さな粒の中に閉じ込められました。

悲惨な出来事が、結果として稀有な現象を残したことになります。

こうした条件は、実験室でそのまま再現することはできません。

だとすれば、まだ誰も見たことのないものが混ざっていてもおかしくない——研究者たちはそう考えました。

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