『命のアナキズム: 沖縄の海と森と米軍基地の人類学』(青土社) - 著者: 比嘉理麻 - 比嘉 理麻による本文抜粋

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 沖縄の海と森と米軍基地の人類学
『命のアナキズム: 沖縄の海と森と米軍基地の人類学』(青土社)著者:比嘉理麻

日本の米軍基地の7割超が集中するといわれる沖縄県。名護市辺野古では新基地の建設が強引なかたちで進められるなど、日本政府はその歪な現実に向き合おうとしません。この状況に対して座り込みや牛歩といった地道な運動が続けられるなか、それとは別の仕方で、沖縄の自然とともに生きるための活動を通して、基地反対の姿勢を示す人がいます。10月26日(月)発売予定の、人類学者の比嘉理麻(ひが・りま)さんによる新刊『命のアナキズム 沖縄の海と森と米軍基地の人類学』は、そうした人びとの営みを丹念にたどり、そこから脱支配の思想を析出する試みです。刊行を記念し「はじめに」の冒頭を特別に公開いたします。

1995年頃だっただろうか。当時、17歳だった私は、沖縄県庁前を母と歩いていた。その時、母が不意に足を止めた。「米軍基地反対」――そう呼びかけながら署名を求める人たちが、通りがかりの人びとに次々と声をかけていた。こうした署名活動は、県庁前の日常だった。

だが私は、立ち止まった母の手をぐいっと引っ張り、「どうせ、変えられないんだから」と言い放って、そのまま母を引っ張るようにしてその場を立ち去った。私はあの時、米軍基地問題からも、沖縄の傷からも目を背けた。まさかその20年後に、「世界一危険な基地」と呼ばれる普天間基地のすぐ隣の大学に職を得て、そのさらに後には米軍基地反対運動の研究をするようになるとは、あの時の私には想像もできなかった。

私が沖縄の大学に赴任したのは、2015年4月のことである。当時の私は、沖縄の豚肉産業のフィールドワークをもとに書いた博士論文を刊行したばかりで、米軍基地問題に格別の関心があったわけでも、専門的な知識があるわけでもなかった。そんな私が米軍基地の存在を体で感じるようになったのは、沖縄に再び降り立って間もない、通勤途中の車窓からだった。

沖縄在住者の中では珍しく車の免許を持たない私は、毎日バスで通勤していた。バスの車窓から見えるのは、延々と続くフェンス――一般人の立入が禁じられた米軍基地と沖縄の土地を隔てる、とげとげしい有刺鉄線――であった。

その内側には、星条旗と日の丸が並んで風に揺れていた。突き抜けるような青空、照りつける日差し、揺れる2枚の旗を横目に、バスはフェンスに沿ってぐんぐんと北上し、やはりフェンスで隔てられた米軍基地の隣の大学へと到着する。その景色が、毎朝、繰り返された。

中学・高校と沖縄に暮らしながら「見えていなかった」米軍基地を、今度は毎日、目におさめることになった。頭上を米軍機が飛び交う日々に、私は突如、投げ込まれたのだった。私が勤めた大学のある校舎からは、普天間基地を離陸する軍用機オスプレイがよく見える。

最初の頃、最も衝撃を受けたのは、講義中の教室の窓から、突然オスプレイが姿を現した時だ。遠近感覚が若干バグっている気もするが、学生の顔と顔のあいだから、垂直離陸したオスプレイが、視界に飛び込んできた。

授業を受ける学生たちと軍用機という、あまりにも不釣り合いなものが隣り合わせに並べられた、その違和感と衝撃。それ以上に衝撃的だったのは、誰もこの事態に驚かなかったことだ。ひとり驚いている私だけが、教室の中で居場所をなくしたようだった。

軍用機が日常の光景に溶け込んでいるということへの衝撃、そしてこの事態に決して慣れてはいけないという身体的な拒絶――そうした感情が一度に押し寄せ、講義のさなかに私は密かに混乱していた。これが、私にとって米軍基地が「見える」ようになった経緯である。

そこからの私は、米軍基地問題に関する書物を読み漁り、自ら語る言葉を探しながら、手探りで暗闇の中へと分け入っていった。いわば、無関心の側から関心の扉をくぐったわけだ。

そこで常に反芻していたのは、20年前に沖縄の傷に向き合うことを、知ろうとすることさえも拒絶したあの私自身に届く言葉の在処であったように思う。過去の私に、日々接する学生たちを重ね合わせ、その〈私〉たちに届く言葉こそが、学生たちと基地問題を語り合う対話の入り口となった。

*

基地問題の関心の扉をくぐったばかりの私が、まず向かうべきフィールドはすでに決まっていた。現在進行形の辺野古基地建設と、それへの反対運動である。にもかかわらず、私はずっともじもじして、現場へと行けなかった。

当時の辺野古のイメージとして私の脳裏にあったのは、ネイビーの特攻服を着てサングラスをかけた機動隊員が隊をなしてずらりと整列し、座り込みで抗議する人たちを次々と剥がしていく、という光景だった。沖縄のメディアやSNSを通じて繰り返し目にしていたその映像が、頭から離れない。

私の専門である文化人類学は、「参与観察」という手法をとる以上、座り込みに加わりながら現場を観察することになる。当然、機動隊員に腕を掴まれ、剥がされる――そのことは容易に予想がついた。

私はフィールドに踏み出せないまま、時間だけが経っていった。私はいつだって、カタツムリだ。職場の大学から直線距離にして30キロあまり、それがとてつもなく遠く感じられた。機動隊員も怖い。剥がされるのも怖い。勇気を奮い立たせようとするが、足は動かない。意気地なしの私には、このテーマは重すぎたのか。

同じところをぐるぐると旋回する日々に嫌気が差しながら、ふとこんなことを思い始めた。強さを志向することも、どこか違う気がする――と。勇敢でなくても、軍事化に違和感を抱く人間はいるはずだ。強さへの志向性は、突き詰めれば、警察権力や軍隊の暴力と地続きではないか。

その時はまだ、自分の弱さを正当化する言い訳のようなものだった。だがそれが、やがて私の研究の骨格となってゆく。軍隊や戦争を下支えする「強さ」から、意志的に距離を取るというものだ。

私のステレオタイプが音を立てて崩れたのは、初めてジュゴン保護に従事する女性に会いに行った時のことだ。「ふるさとの海が壊されることに反対するのに、それ以上の理由なんか、本当は必要ない」。彼女の言葉を聞いた瞬間、私は自分の内側で何かが瓦解するのを感じた。

目の前の海が壊されていく、そのことに反対する。それはよく知られた大義とは全然違う、ごくごく「ふつう」のことではないか。基地反対は、もっと別様に生きられている。そう気づいた時、もっと出会いたい、もっと声が聞きたいという気持ちが湧き上がってきた。

勇敢でなくても、この世界に漂う不気味な気配に違和感を覚えている人がいるかもしれない。この時はっきりと、私は武装した屈強な男たちから意識的に距離を取る、意志的な弱さの側へと踏み出した。

朧げながら、見えてきたものがあった。基地反対のありようは、もっとずっと多様なのではないか。担い手たちも、もっとずっと多様なのではないか。従来の社会運動論の枠組みからこぼれ落ちてしまうような小さな行ないも、この世界に異和を差し挟み、変革へと続く一歩なのではないか。

どこかで私は、一度きりの華々しい革命というイメージを抱いていた。だが徐々に、無数の蟻たちがこの世界を構成しているというイメージへと変わっていった。蟻たちが支えるこの世界を描いていく――それが、本書で取り上げる軍事化に抗する小さきものたちの物語だ。

[書き手]
比嘉理麻(ひが・りま)
1978年生まれ。筑波大学大学院人文社会科学研究科博士課程単位取得退学。博士(国際政治経済学)。現在、明治大学政治経済学部准教授。専門は文化人類学、沖縄研究。著書に『沖縄の人とブタ――産業社会における人と動物の民族誌』(京都大学学術出版会、2015 年)。
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