ロシア占領下の避難者、ウクライナ支配地域に帰還 局地的停戦で夫婦が1711日ぶりの再会

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ウクライナとベラルーシの国境(CNN) ドミトロさんは、妻のラリサさんと1711日間会っていなかった。彼はその日数を数え続けていた。

ウクライナとベラルーシの国境近くで待つドミトロさんの目は、不安げに地平線に向けられていた。視線の先でバスを探す。バスにはロシア占領下にあるウクライナ南部の町、オレシュキから避難したラリサさんや他の人々が乗っている。

共に54歳の夫婦は10月31日午後、ついに再会を果たした。感情を抑えきれないドミトロさんはラリサさんに何度もキスをし、二度と離さないと言わんばかりの強い力で彼女を抱きしめた。

1711日ぶりの再開を果たしたドミトロさんと妻のラリサさん/CNN

ローマ教皇レオ14世が呼びかけ、メラニア・トランプ米大統領夫人が交渉を支援した停戦合意に基づき、最前線となった町から避難した数百人の人々(と多くのペットたち)が、ウクライナの地に戻ってきた。

占領下で体重が3分の1減ってしまったラリサさんの痩(や)せ細った体は、ドミトロさんの腕の中にすっぽりと収まってしまうほどだった。それでもしっかりと顔を上げたラリサさんの青い瞳は、喜びで輝いていた。

現在の心境を尋ねられたラリサさんは、今も苦しんでいる他の人々のことに触れた。「国中の誰もが苦しい状況にある。私と同じような境遇の人が大勢いる。中には、さらに過酷な状況に置かれている人たちもいる。私たちは、このすべてが終わること、平和が訪れること、そして勝利を待ち望んでいる」と、CNNに語った。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、SNSのテレグラムを通じて避難者の到着を報告。仲介に尽力したメラニア氏に感謝の意を表した。

メラニア氏はX(旧ツイッター)への投稿で、「オレシュキの事例は、私たちが戦争よりも人間性を優先させることができるということを証明している」と語った。

ウクライナの人権オンブズマン、ドミトロ・ルビネツ氏は、自らオレシュキに赴いて避難者を直接送り届けた。開戦以来、ウクライナの政府高官がロシアの支配下にある占領地域へ公然と足を踏み入れたのは、これが初めてのケースとなる。

​​国境を越えた後、CNNの取材に応じたルビネツ氏は、今回の取り組みは極めて困難なものだったとしつつも、これが将来に向けた希望や指針になればと語った。

その上で、「食料や医薬品の不足といった同様の問題を抱える村が他にも多数存在する。我々はこの構想を続けていくつもりだが、それはウクライナ側だけの意思で決まることではない」との認識を示した。同氏はまた、30日にオレシュキで、ロシアの人権担当者であるヤナ・ラントラトワ氏と対話したことも明らかにした。

栄養失調と医薬品の欠乏

ドミトロさん(安全上の理由から姓は伏せる)はウクライナ軍の兵士だ。ロシア軍が故郷のオレシュキを占領した際、妻のラリサさんは非常に危険な状況に置かれることとなった。

夫妻は娘を町から避難させることには成功したが、ラリサさん自身は町を出ようとすれば、ロシア軍の検問所で「ろ過(フィルタリング)」にかけられるのではないかと危惧していた。これは、ロシアの占領下にあるウクライナ人が、ウクライナの支配地域へ移動する許可を得る前に受けさせられる尋問のことであり、屈辱的で、しばしば暴力的なものだった。

そのためラリサさんは町にとどまり、奇跡を願った。しかし、待ち受けていたのは悪夢のような日々だった。

2023年、近郊のノバ・カホフカ・ダムが決壊し、町は大規模な洪水に見舞われた。決壊はロシア側による爆破によるものである可能性が高いとされる。

その後も激しい戦闘が続き、町はさらなる破壊にさらされた。ここ数カ月で人道状況はさらに悪化している。ウクライナ当局の報告によると、9月の時点で町では食料や物資が底をつき、電気やガス、医薬品といった生活必需品も一切手に入らない状態となった。当時の報告では、人々は草や雑草を食べて生き延びていると伝えられていた。

9月12日に公開された撮影日不明の空撮画像に写るオレシュキの破壊の様子/34th Separate Marine Brigade
9月12日に公開された撮影日不明の空撮画像に写るオレシュキの破壊の様子/34th Separate Marine Brigade "Borysfen"/Handout/Reuters

31日にCNNの取材に応じた避難者らは、オレシュキでは夏以降、食料の搬入が一切なかったと語った。ある女性は、1年以上パンを口にしておらず、今年自分で植えた野菜(主にトマトやキュウリ)だけで生き延びてきたと話した。

チェルニヒウ地域病院のアンドリー・ジデンコ院長は、スタッフと共に国境で待機し、避難者への医療支援にあたった。同氏はCNNに対し、長期にわたる栄養失調の影響が大きな懸念事項だと指摘。避難者たちは非常に長い間飢餓状態にあったため、急激に大量の食事を摂ることは危険を伴う可能性があり、慎重に栄養を補給していく必要があると説明した。

31日にバスから降りた別の避難者、オレクサンドルさんはCNNに対し、「人生で今ほど気分が良いことはない」「まるで地獄から抜け出したような気分だ」と語った。オレシュキでは外に全く出られず、食料を一切入手できなかったため、「アパートに残されていたもの、例えば缶詰やピクルスなどを食べてしのぐしかなかった」という。

ウクライナ側へ行くことを望まず、オレシュキに残ることを決めた住民もいた。11月1日には停戦協定の期限が切れる予定だが、ウクライナ側とロシア側の双方当局によると、そうした住民たちにも人道支援が提供されたという。

ロシアへ向かうことを選んだ人々もいた。ラントラトワ氏は10月31日、こうした避難民がクリミアのシンフェロポリにある一時滞在施設に受け入れられたと述べた。

米国の紛争調査機関「戦争研究所(ISW)」によると、戦前のオレシュキの人口は約2万4000人だったが、戦闘初期のまだ避難が可能だった時期に、その約40%がウクライナの支配地域へと逃れることができた。その後も数千人が脱出したが、離れられなかった、あるいは離れることを望まなかった多くの人々が現地にとどまった。

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