セミの命はなぜ「七日」と思われてきたのか――日本文化と近代教育から読み解く

3 ヶ月前 22

「セミの命は七日」はどうやって作られたか?

「セミの命は七日」はどうやって作られたか?「セミの命は七日」はどうやって作られたか? / Credit:Canva

「セミは七日の寿命」という記述は明治期以前にまで遡れます。

目立つ文献では、1902年刊の木村小舟『春夏秋冬理科手引草』があげられます。

この本の中には「蟬は七日にして死し」というのは「古來言ひ傳えたる處(古来からいわれていること)」だと記されています。

また1917年の『大日本国語辞典』には、「蟬は七日の壽命」が「生命の短いことをいう語」として収録されています。

さらに東京大学総合研究博物館の資料には、「アブラゼミの一生は7年、成虫の寿命は約一週間」など、一般に知られるセミの知識は加藤博士の業績によるとも記されています。

加藤正世は、1898年に生まれ、大正から昭和にかけて活躍した昆虫学者です。とりわけ1930年代以降、数多くの著書や専門誌、自宅に開いた「蝉類博物館」を通じて、セミに関する知識を広く社会へ伝えました。

しかし現代の学術的な調査において、この「七日」は大きく疑われています。

日本で有名なのは、岡山県立笠岡高校サイエンス部の植松蒼さんによる野外調査でしょう。

植松さんは、アブラゼミ、ツクツクボウシ、クマゼミなど計863匹を捕まえて羽にマークをつけ、時間を置いて再捕獲を試みました。

その結果、確認された最長生存記録は、アブラゼミ32日、ツクツクボウシ26日、クマゼミ15日でした。

この調査は2019年に中四国地区生物系三学会合同大会で発表され、高校生の部(動物分野)で最優秀賞を受賞しています。

それ以前にもセミの生存日数が30日に及んだとする記述(七尾, 1986)などもありましたが、植松さんの研究が新聞やテレビ、雑誌などで紹介されたことで知った人も多いでしょう。

厳密には、これは生存期間を確認した記録であり、セミの成虫の「平均寿命」とは異なります。

しかし日本人の多くがこの成果に驚いた背景には、セミの生存日数が、私たちの直感と大きくかけ離れていたことがあるのは確かでしょう。

実際、捕まえたばかりのセミが、数日の間に徐々に弱っていった、という記憶を持つ人は少なくないはずです。

また元気なセミは、たいてい木の高い枝にとまり、姿を隠し、鳴き声だけを降らせています。

反対に、人間の目に入りやすいのは、元気がなく低い位置や地面にいるセミです。

そのため私たちが間近で見るセミは、すでに命の終わりにいることが多いのです。

すると「夏に現れる」「すぐ弱る」「すぐ死ぬ」という順序が、人々の間に経験として蓄積されていきます。

この経験の上に、日本語の長い文化も重なりました。

その中心にある言葉の一つが「空蝉」です。

この「うつせみ」は、もともとセミを意味する語ではありませんでした。

語源的には「現し身(うつしおみ)」が転じたものとされ、本来は「この世に現に生きている人」、さらに転じて「この世」を意味する言葉「うつそみ」となります。

ところが、そこに「空蝉」「虚蝉」といった字が当てられるようになると、言葉は別の方向へ動き始めます。

空っぽの蝉、つまり抜け殻のイメージが流れ込み、やがてセミの抜け殻やセミそのものを指す語としても用いられるようになりました。

ここで起きていることは、単なる語義の変化ではありません。

もともと「この世に生きる人」を指していた言葉が、漢字の力によって、抜け殻、不在、去ってしまったものの気配を帯びていったのです。

『古今和歌集』には、空蝉と殻を重ね、魂の行方や残されたものの悲しみを詠んだ歌があります。

『源氏物語』の「空蝉」巻では、衣を残して姿を消した女性と、殻を残して去るセミの像が重なります。

残されたものが、そこにいない人の存在をかえって強く感じさせるのです。

明治期の文献にセミの寿命の短さにについて「古来から言われている」と書かれているのも、このような日本文化の影響があってのことだったのでしょう。

こうして見ると、「セミは七日の命」という俗説は「人々の経験」「日本文化」「言語の変遷」「近代の科学教育」など多様な要因が絡み合って作られたものだと言えるでしょう。

ただ文化や言葉の影響を受けているということは「ところ変われば違う」という結果にもなります。

たとえば日本と異なる文化を持つ古代中国では、セミは儚さの記号どころか、再生と不死の象徴として扱われてきました。

漢代には、死者の口に玉のセミを納める習わしがありました。

土から出て殻を脱ぐセミのように、魂がよみがえることを願ったと考えられています。

(※中国にも荘子が「蟪蛄(けいこ)は春秋を知らず」と短い命を説いた一節があり、短命の比喩がなかったわけではありません。)

また古代ギリシャでは、セミはしばしば「不死」に結びつけられました。

『アプロディーテー讃歌』では、暁の女神エオスに愛されたティトノスが、不死を得ながら不老を得られず、老い続ける存在として語られており、さらに後代の伝承では、老いさらばえた彼が、セミへと変えられたとも語られました。

このような不死や再生という印象は、短命で儚く消えていくという日本人のイメージとは、ずいぶん違うと言えるでしょう。

次は、そんなセミの、死の間際の姿を見ていきます。

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