「生かす医療」から「死への誘導」へ? 「救急・集中治療における生命維持治療の終了/差し控えに関する4学会合同ガイドライン」

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「家族に迷惑をかけているのでは。医療費を使いすぎているのでは。こんな身体で生きていていいのか。障害者や難病患者は、社会の中でこうした無言の圧力を受けながら生きています。私はALS当事者として、その重さを知っています」

「障害者はコストではありません。難病患者は社会のお荷物ではありません。生きてるだけで、人は誰かを支えています」

「今必要なのは、命を終わらせる方向の制度設計ではありません。どんな障害や病気があっても、生きたいという社会を作ることです」

6月4日、参議院議員会館の講堂にそんな声が響いた。声の主は、昨年まで参議院議員として活躍した、れいわ新選組の舩後靖彦さんの介助者。舩後さんが作成した文章を、隣に立って読み上げた。

会場には、やはりれいわ新選組の木村英子議員、天畠大輔議員の姿もある。

天畠議員は30年前、若年性急性糖尿病で緊急搬送され、病院が適切な処置をしなかったため心肺停止になるという経験をしている。

集中治療室に入った翌日、医者は彼の親に、脳波がフラットで瞳孔も開いており、脳死状態だと告げたそうだ。しかし、徐々に回復。が、今日までの道のりは決して平坦なものではなかった。

「私もかつては死にたいという言葉を幾度か発しました。障害や疾患に限らず、人は誰しも困難を前にしてこの言葉を口に出します。それは多くの場合、生きたい、という願いが閉ざされそうな時の命の叫びです。ある瞬間の、ある時期の言葉を切り取って、『死にたいと言っている、尊重すべきだ』というのはあまりに乱暴です」

天畠議員の介助者の声が響き渡った。シンと静まり返る講堂には、呼吸器の作動する音やアラームの音。

この日行われたのは、「いのちを切り捨て 医療を変質させる 4学会ガイドラインの撤回を!」と題された集会。

「4学会ガイドライン」とは何か。それは日本集中治療医学会・日本救急医学会・日本循環器学会・日本緩和医療学会による「救急・集中治療における生命維持治療の終了/差し控えに関する4学会合同ガイドライン」。

何やら社会保障費削減のための「命の切り捨て」を彷彿とさせるような不穏なネーミングではないか。

思えばこれまで、「財源がない」という言葉のもと、弱者を切り捨てるような施策が行われてきた。それが生活保護基準引き下げであり、高額療養費の自己負担増であり、OTC類似薬の自己負担増なのだろう。

一方、政党も露骨に病者や高齢者を切り捨てる姿勢を打ち出してきた。

国民民主党は2024年の衆院選で「尊厳死の法制化を含めた終末期医療の見直し」を掲げ、参政党は25年の参院選で「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」を公約に掲げている。それだけではない。尊厳死の法制化を目指す超党派の議員連盟には100人以上が参加している。

これを読んでいる人の中には「でも、耐え難い苦痛があるなら尊厳死・安楽死という選択肢はあった方がいい」という意見を持つ人も多いだろう。私もある時期まで、痛みからの解放・救済といったポジティブなイメージで捉えていた。

しかし、重度の障害がある人たちと交流するようになった十数年ほど前から、少しずつ考えが変わっていった。彼ら彼女らが熱心に尊厳死・安楽死反対運動をしているのを目にしたからだ。彼ら彼女らはそのような法律ができることで、「なんで尊厳死できるのに死なないの?」と言われることを非常に恐れていた。

安楽死が合法の国で起こっていること』(児玉真実/ちくま新書)を読んでからは、その懸念が決して大袈裟ではないことを知った。

詳しくはこの連載の664回で書いているのでぜひ読んでほしいのだが、この本で描かれているのは、安楽死が福祉の代替案にさえなっているという現実だ。

例えば本書には、カナダで化学物質過敏症に苦しむ女性のケースが紹介されている。

彼女は2年間にわたって福祉制度の担当者に安全な住まいを求めて訴え続けていたのだが(カナダには安全で家賃も手ごろな住まいを障害者に助成する制度がある)、事態はまったく動かず、時間だけがすぎていった。

しかし、彼女が安楽死を申請したところ、すぐに認められ、死去。

そんなカナダでは安楽死が合法化された直後、医師らが医学雑誌で、毎年1万人がMAID(医療的臨死介助)で死ぬと1億3000ドルの医療費が削減できるという試算が報告されたという。

それだけではない。安楽死はすでに臓器移植と直結している。安楽死後すぐに「新鮮な」臓器が摘出される「安楽死後臓器提供」はベルギー、カナダ、オランダ、スペインで合法化され、行われている。

そのような制度がある社会で、「役に立たない」と烙印を押された人たちが「臓器提供でもして人の役に立て」と言われたら──。考えるだけでゾッとするのは私だけではないだろう。

さて、それでは「4学会ガイドライン」とはどのようなものなのだろうか?

現在、最終版が作成されているそうなのだが、「尊厳死法がなくとも医療現場の判断で尊厳死・安楽死を推進するような内容」だとして大きな批判を浴びている。

まず驚くのは、終末期だけでなく、回復の可能性がある人にまで生命維持治療の中止・差し控えがなされる構造であるということだ。

ここで思い出したいのは、18年、44歳の女性が死亡した福生病院事件。透析治療をしていた女性はシャント(透析装置の出入り口)が詰まって福生病院を訪れたのだが、そこで新たな治療をするか、透析をやめるかの選択肢を提示される。もちろん、やめれば2週間ほどで命は尽きる。新たな治療に消極的だった女性は透析をやめると「透析離脱証明書」にサイン。が、凄まじい体調不良に襲われ、透析再開を希望する。しかし、透析は再開されることなく1週間後、死去。

このガイドラインが通ったら、全国各地でそんなことが起きるのではないか──。この日、そんな懸念が多くの人の口から漏れた。

例えばあなたはこの女性のように、医者から「やめたら死ぬのにその治療をやめる選択肢」を提示されたことはあるだろうか。私はない。が、このガイドラインは医学的側面、患者の意向、QOL、周囲の状況などによって「生きるか」「死ぬか」を選択させるようなことになっているという。

しかし、「患者の意向」は状況によって変わる。透析をやめた女性が苦しみの中で透析の再開を願ったように。天畠議員が「ある瞬間の、ある時期の言葉を切り取って、『死にたいと言っている、尊重すべきだ』というのはあまりに乱暴です」と言ったのはそのためだ。

そして「周囲の状況」についても危ういことばかりだ。

ガイドラインには「家族の価値観や介護力、社会的・文化的背景、法制度や病院体制を含めた環境要因を考慮」するとある。が、もし家族に「生産性至上主義」みたいな人がいたら、「死なせる」方向にならない保証はないのではないか。

それだけではない。私は日本で一番メジャーな宗教は「人に迷惑かけるな教」だと思っているのだが、「自分の家族が社会に迷惑をかけるなんて」という思いから、死に誘導されていくこともありえるだろう。

しかも「介護力」を家族に丸投げしているところも恣意的に感じる。なぜなら、世の中には公的なサービスがたくさんあるからだ。

この日、会場には多くの障害がある人が参加していたが、皆、重度訪問介護などを使いながらこの場に来ているわけである。舩後さんだって、議員になる前から介護サービスを活用し、一人暮らしをしていた。よって家族の介護負担はない。そのようなことが、制度を使えばできるのだ。

「『ここで生命維持治療をすると、こんな負担がおきますよ』。これがどれだけ多くの人を萎縮させることでしょう。むしろ、さまざまな障害福祉や医療を受けながら、在宅生活できる制度の説明をもっと書き込むべきです」

天畠さんの言葉だ。

そうして多くの人がもっとも問題視していたのは、「期限付きの特定の治療の施行」(TLT=Time Limited Trial)。

医療現場で「タイムリミット」という言葉を聞くとドキッとするのは私だけではないだろう。要は何日間などと設定された期間、治療の効果がなければ緩和ケアへ意向し治療は終了、看取りへ、ということらしい。このTLTへの言及がガイドラインの中でなされているのだ。

このことについては、「バクバクの会〜人工呼吸器とともに生きる〜」の大塚孝司さんが懸念を語ってくれた。

21歳で亡くなった大塚さんの息子は、出生直後から呼吸器を装着。寝たきりだったが、自ら経管栄養のチューブを胃までぴったり入れることもできたという。

そんな息子さんが心停止となったのは小学2年生。が、呼びかけなどを続けたところ、1年半が過ぎた頃にはピクッと指を動かすようになり、徐々に回復していったという。

しかし、TLTが導入されてしまったら。1年半という期間など、到底待ってもらえないだろう。

しかもガイドラインの緩和ケアには呼吸器の取り外しが書かれているという。これについて、大塚さんは「呼吸器の取り外しは緩和ケアでは決してありません」と強調した。

自発呼吸ができず呼吸器をつけている人がそれを外したら、5分と経たずに死んでしまう。その間、どんな人でも苦しくて暴れる。そのため、筋弛緩剤や鎮静剤を打つ。

「これは決して緩和ケアではありません」
「積極的安楽死。それ以上の殺人です」

その言葉に、大きな衝撃を受けた。

また、お連れ合いが67歳の時に脳幹梗塞で倒れ、遷延性意識障害となった小川恵一郎さんも発言。

遷延性意識障害とは交通事故、脳卒中など脳の損傷が原因で起きるという。誰にとってもまったく他人事ではない障害だ。自力で食べたり移動することができず、意思疎通は困難だという。

夫婦はリハビリと介護に励み、お連れ合いは少しずつ回復。在宅介護の1年後からは美術館やコンサートに行けるようになったという。倒れて5年で旅立ってしまったものの、その間、救急医療には幾度もお世話になり、それは「命綱のようなもの」だったという。

「この命綱を切断しようとしているのが今回のガイドラインです」

小川さんは言った。 

「このガイドラインが実行された場合、重度障害者は“差し控え”にあたり、医療の不開始、門前払い、そもそも相手にされない対象とされる。命の切り捨て、死なせる医療の犠牲者になってしまう」

またこの日配られた冊子には、医師の越智祥太氏の意見もあった。それは以下のような記述から始まる。引用しよう。

「救命・集中医療現場の医療者の日頃のご苦労には共感と敬意を表しますが、このガイドラインはいけません。医療者としてやってはならない、生命価値の取捨選択に踏み出しています。救命後に生命維持装置を使う患者が増え、早々に打ち切って解放されたいという、医療者の要求があまりに先行しています」

やっぱりそういう面もあったのか……。ガイドラインの背景には、過酷な医療現場という問題もありそうだ。疲れ果てた医療者の、恐ろしいほど剥き出しの本音──「もう頑張って生かしても社会保障費とか医療費増やすだけとか批判されるから死なせよう、その方が国も褒めてくれるし世間受けもよさそうだし」──が凝縮したのがこのガイドラインだとしたら。

というか、医療現場が逼迫しているということであれば、普通なら「では人員を増やそう」「予算を使おう」ということになるはずだ。が、「では生命維持治療をやめていこう」って、え? なんでそんな発想になるの? 素朴に思うが、今の日本って、一事が万事、この調子という気もする。

越智さんは、以下のようにも指摘する。

「さらに驚愕するのは、医療者の都合で生命を奪いながら、臓器移植はさせることです。倫理的にも法的にも許されないことです。臓器移植を増やすために安易な生命維持終了が現場で行われる可能性を考慮に入れているのでしょうか?」

そう、やはり出てくる臓器移植。もちろん、移植を待つ人々が多くいることは知っている。しかし、そのこととガイドラインの危険性とはまったく別の話だ。

このような問題山積みのガイドライン、恥ずかしながら私はこの日の集会に行くまで、その詳しい内容をまったく知らなかった。だけど知って、まったく他人事ではないと思った。

なぜなら、明日自分が、あるいは大切な人が倒れない保証も交通事故に遭わない保証もどこにもないからだ。

と、これからこのガイドラインを注視してほしいのだが、この日、私はずっと静かな感動の中にいた。 

会場には多くの呼吸器ユーザーや車椅子ユーザー。そして登壇する人々が語る、病気や障害と生きる家族への思い。

息子が経管栄養のチューブを自分でぴったり胃に入れられることをちょっと誇らし気に話す父親の姿や、倒れた妻の思い出を語る夫の姿に、どれだけ大切な時間が流れていたかが伝わってきたのだ。

話を聞いているだけで、心停止に至って1年半後、指がピクッと動いたことに大喜びする家族の姿なんかが次々と鮮明に浮かんでくる。おそらく、全国各地に祈るような思いで家族や大切な人の意識が戻ること、少しでも回復することを願っている人たちがたくさんいる。それを思うと、ガイドラインがどれほど大切なものを踏み躙ろうとしているかを突きつけられる。

しかし、ガイドラインの運用が始まっていない今でも、すでに「死への誘導」は現場レベルでなされているようだ。

以下、この日、参加できなかった人のメッセージだ。

「遷延性意識障害の夫がいる者です。私は夫の意識が戻らないと診断を受けたその日から、医師に毎日、『延命措置はしません』と書かれた書面にサインしろと言われ続けた経験があります」

もう一人、会場の男性もマイクを握った。

「先々週、92歳の父が脳梗塞で救急搬送されました。今はピンピンしていますが、病院で父は看護師さんに、『90歳超えて口から物が食べられなくなったら、管を入れたり余計なことはせずにさっさと死ぬのが国のためであり家族のためであり社会のためでもあるからそうしなさい』と言われたそうです。これって誘導じゃないですか。そんな病院に父を預けたくないって思いました」

この国にはずーっと昔から、「身体中をチューブに繋がれて延命させられている高齢者」という苦痛のイメージがある。しかし、このガイドラインは「終末期」に限定されたものではない。

この日の集会を主催した「いのちの切り捨てに抗議する市民連絡会」の冊子には、ガイドラインの目的について、以下のような記述がある。

「治療をしない・治療を中止しても法的に訴えられることのないようにすることが目的なのです。救急医療の現場が、患者の救命ではなく『死へ導く医療』へと根本的に変えられようとしているのです」

「もはや『医療』ではなく『治療放棄』としか言いようがありません」

障害や病気を持つ人に対して、「自分だったらそんな身体になってまで生きていたくない」「死なせてあげた方がいいのでは」という一見「善意」の意見もある。

が、その言葉があなたに向けられたらどうだろう。「自分は健康だし」と反論するかもしれない。が、たとえば大富豪があなたの生活を見て、「週に5日も労働するなんてそんなになってまで生きていたくない」「死なせてあげた方がいい」と口にしたら。余計なお世話どころじゃないだろう。

一見「大変」に見える人への「死なせてあげたら」は、それほどに、剥き出しの暴力だ。

16年、相模原の障害者施設で入居者19人が殺害された。元職員の犯人は、働き始めた当初、「障害者はかわいい」と言っていたものの、次第に「かわいそう」と言うようになり、それが突然「殺した方がいい」に発展した。

今年の7月で、あの事件から、10年。

そんな年に出てきたガイドライン、ぜひ、注視してほしい。 

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