現代ノルウェー王室の象徴、ハロルド5世が89歳で死去 「船乗りの王」

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(CNN) 欧州最年長の君主だったノルウェーのハラルド5世が28日、89歳で死去した。在位期間は35年だった。

ノルウェー王室は公式サイトで、28日午前6時35分過ぎに息を引き取ったと発表した。息子のホーコン皇太子が後を継いで即位する。

57年間連れ添った妻のソニア王妃と2人の子ども、5人の孫が後に残された。王位継承順位第1位は孫娘のイングリッド・アレクサンドラ王女。

ハラルド5世はノルウェー王室にとって難しい時期に亡くなった。ホーコン皇太子の妻で王妃となるメッテ・マリット皇太子妃は近年、健康問題を抱えており、今年に入ってからは性犯罪で有罪判決を受けた米富豪、故ジェフリー・エプスタイン氏との過去の関係が明るみに出て世界的な注目を浴びた。それから程なくして、前のパートナーとの間に生まれた息子がレイプや家庭内暴力の罪で有罪判決を受け、拘禁刑4年を言い渡された。

ハラルド5世は1991年、53歳で即位した。

91年6月23日、ハラルド5世とソニア王妃は2人の希望通り、中部トロンハイムにあるニーダロス大聖堂で中世の伝統を取り入れた戴冠(たいかん)式を執り行った。挙式後、2人はノルウェー南部を巡る10日間の旅を敢行。92年には22日間をかけて北部4県を回った。

皇太子だったオラフ5世と妻がハロルド5世と一緒に写った写真=1938年12月22日/Bettmann/Getty images
皇太子だったオラフ5世と妻がハロルド5世と一緒に写った写真=1938年12月22日/Bettmann/Getty images

亡命先で育つ

ハロルド5世は37年2月21日に生まれ。3人きょうだいの末っ子で、唯一の男の子だった。当時の憲法では、王位を継承できるのは男子のみと定められていた。

わずか3歳の時、ドイツ軍がノルウェーに侵攻した。王室一家は政府関係者と共に隣国スウェーデンへ逃れることを余儀なくされた。

スウェーデンに数カ月滞在した後、一家はスカンジナビア半島を離れる。ハラルド5世は母や姉たちと米首都ワシントンへ渡る一方、国王だった祖父ホーコン7世と父オラフ5世はドイツの占領終結まで英首都ロンドンに避難した。

45年6月7日、ドイツが連合国に降伏したことを受け、当時8歳だったハラルド5世は他の王族とノルウェーへ帰国。首都オスロの街頭で数千人から歓迎を受けた。

王室と国民との絆(きずな)を強調し、君主制の近代化を図るため、ハラルド5世は公立学校で幼少期の教育を受けた。校門の外に警護隊員が配置されていたことを除けば、他の子どもと大差ない学校生活だった。

船乗りの王

ハロルド5世は首都オスロ近郊のスカウグムの王室領地で育ち、幼少期からアウトドア生活を楽しんだ。

熱心な船乗りで、父のオラフ国王から水への愛を受け継いだ。

ノルウェー王室の推計によると、ハロルド5世は生涯で1000回を超えるレガッタやイベントに参加した。「ハロルド王子が46年に初めてクルーとして競技に出場したのは、10歳の時だった」という。

皇太子時代には、64年の東京オリンピック(五輪)でノルウェー代表としてセーリング競技に出場。開会式では旗手を務めた。68年のメキシコシティー五輪や72年のミュンヘン五輪にも出場している。

クリスマス用の写真撮影に臨むハロルド国王とソニア王妃、イングリッド・アレクサンドラ王女、メッテ・マリット皇太子妃=2024年12月19日、ノルウェー首都オスロの宮殿/Stian Lysberg Solum/NTB/Reuters
クリスマス用の写真撮影に臨むハロルド国王とソニア王妃、イングリッド・アレクサンドラ王女、メッテ・マリット皇太子妃=2024年12月19日、ノルウェー首都オスロの宮殿/Stian Lysberg Solum/NTB/Reuters

家庭生活

ハラルド5世とソニア王妃の交際は9年間続いた。オラフ国王はノルウェー議会との協議を経て、2人の結婚を許可した。

相手の女性が「平民」だったことから、オラフ国王は当初、結婚を認めることに消極的だったと伝えられている。息子が王族の座を捨てると強硬姿勢に出たことで、ついに折れたようだ。

68年8月29日、オスロ大聖堂で来賓800人を招いた豪華式典が行われ、2人は結婚した。結婚祝いの行事は3日間続き、全国が祝賀ムードに包まれた。

2人の間には71年に娘のマッタ・ルイーセ王女、2年後に息子のホーコン皇太子が誕生。その後90年の憲法改正により、性別を問わず長子が王位を継承できるようになった。

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