「小さい頃、私は自分が日本人とのミックスルーツであることにコンプレックスを持っていました。アメリカで周りのみんなと同じになりたくて、その事実を突き放していました。
日本語も話せなかったし、日本に来たこともありませんでした。でも、もう違います」
アメリカを拠点に活動する日米のミックスルーツを持つシンガーソングライター、ブルック・アレックスは5月、人生で初めて日本を訪れた。家族旅行の合間に、東京で一夜限りのライブを開催。アンコールラストの楽曲『I’m Sorry Tokyo(ごめんね、東京)』を歌う前に、ブルックが語った言葉だ。
TikTokだけで現在60万人以上のフォロワーを持ち、インディーズながらも海外ツアーを行うなど、グローバルに活躍するブルック。
いったい何がきっかけで日本のルーツを受け入れられるようになったのか。『I’m Sorry Tokyo』をはじめとするヒット曲の背景やこれまでの道のり、そして初めて訪れた日本での体験について聞いた。
7歳で「歌手になりたい」
現在米テネシー州を拠点に活躍しているブルックは、1995年にアメリカ・ニュージャージー州で生まれた。TikTokで人気を集め、それまで勤めていた動画編集の仕事を辞め音楽を本業に変えたTikTok発のスターだ。
2022年にニュージャージー代表して、オリジナル楽曲で競うNBCの歌コンテスト番組『American Song Contest』に出場し注目を浴びた。
2024年にアルバム『Big Mouth』でデビュー、全米やヨーロッパでツアーを開催してきた。

NBC via Getty Images
幼少期から歌手になることを夢見ていたブルック。7歳の時に母親に「歌手になりたい」と伝えると、母親は、新聞で見つけたオーディションにブルックを連れて行った。
そこで歌った「きらきら星」がマネージメント事務所の目にとまり、その後はボイストレーニングやオーディションなどを受ける日々だった。
「その頃は、歌を仕事にするにはミュージカルしかないと思っていて、ブロードウェイのオーディションのために、ダンスや演技のレッスンも受けて、高校に上がるまではそれが私の人生の全てだった」とブルックは当時を振り返る。
シンガーソングライターとして歩み出す
転機となったのが、13歳で出会ったテイラー・スウィフトの音楽だ。
「テイラーを見て、自分で音楽を書いて、ギターを弾いて、ラジオに出ることもできる。ミュージカル以外の道もあるのだとわかりました。そこからギターのレッスンを受けて、音楽を書き始めて、大学では音楽プロダクションを学びました」
自身の人生経験からインスピレーションを得ているというブルックの音楽には、多くの人が共感できるパーソナルな歌詞で知られるテイラーの音楽の影響が至る所に感じられる。
2人の妹がいるブルックの歌詞には、長女であることの責任やプレッシャー(『Oldest』)や、今でも仲の良い元彼のママ(『All My Exes’ Moms』)、そして、日本のルーツに対するコンプレックス(『I’m Sorry Tokyo』)などが具体的に描かれている。
「『こんなコンセプトの曲今まで聴いたことない。世界に自分と同じように感じている人がいるなんて知らなかった』と思ってもらえるような曲を書くことが、私の目標。失恋や恋愛についての曲はたくさんあるけど、私の曲では、もっと具体的でユニークな角度を見つけたいと思っています」
『I’m Sorry Tokyo』に書かれた後悔
冒頭に紹介した『I’m Sorry Tokyo』も、ブルックのミックスルーツの背景に基づく羞恥心や後悔などパーソナルな葛藤が痛いほどに綴られている。
日本人の母親とアメリカ人の父親を持つブルック。母親はアメリカ生まれだが、母方の祖父母は日本出身。近所に引っ越してきた祖母は、よく家に来ては不慣れな英語を話し、日本食を作ってくれたという。しかし、冒頭でブルックが語ったように、当時は日本の文化を受け入れる余裕がなかったため、冷たくあたっていた。
「当時の私は、おばあちゃんのカタコト英語が恥ずかしくてたまらなかった。子ども向けの日本語学習用の絵本を持ってきてくれたりしたけど、私は『絶対に見ないし、こんなの学ぶ必要ない』と思っていました」
同曲には、幼かった自分に対する後悔と反省の気持ちが込められている。
「大きくなるにつれて、その考え方がどれほど間違っていたかに気づいた。日本語が話せたり、その文化を知っていたりすることがどれほどクールなことか。当時は若すぎて無知で、それを学ぶことをせず、チャンスを逃してしまった。それがこの曲の背景にあるインスピレーションです」

Courtesy of Brooke Alexx
曲をリリースする前は「誰も共感してくれないのでは」と発表をためらうこともあったというが、いざ曲をSNSに投稿すると、予想以上に大きな反響があった。
「自分の家族のメキシコ側の文化について何も学ばずに育って後悔している、スペイン語が話せない」というような、様々なミックスルーツの人たちから共感の声が集まった。
「この曲自体が大きな意味を持つようになった。不安や焦りを押し切って世界に発信したことで、同じような境遇の人たちに『自分だけじゃないんだ』と感じてもらうことができて、本当に感謝しています」
ブルックの母親も、この曲に涙を流したファンの1人だ。
「この曲を母に聴かせると、母は泣き、『私もあなたと同じように感じていた。アメリカで日本人として育つ中で、他の人も同じように感じているなんて知らなかった』と言ってくれました」
アジア人ロールモデルがいなかった
自分のルーツを受け入れるようになったのは25歳くらいだったと振り返るブルックだが、きっかけを尋ねると、意外にもシンプルな答えが返ってきた。
「正直に言うと、ただ脳が発達して大人になったからだと思う。数年前から、自分自身の多くのことと折り合いがついた気がする。自身について色々学んでいるんだなと感じています」

Courtesy of Brooke Alexx
また、幼い頃に日本のルーツにコンプレックスを持ち、遠ざけていた要因については、エンタメ業界にアジア系のロールモデルがいなかったことをあげた。
「幼い頃から歌手になりたかったけど、当時のアメリカにはアジア系のポップスターがいなかった。今でこそK-POPなどが人気だけど、その頃はブリトニー・スピアーズとか、テレビに映るのは金髪の女の子たちばかり。『ポップスターになりたいけれど、アジア系じゃ私が目指す場所には行けないんだ』と思っていました」
初めての来日
4月末に31歳の誕生日を迎えたブルックは、「誕生日旅行」として、5月に家族全員で初来日。沖縄や長崎、京都や東京などを2週間旅行した。妹がプランを立ててくれたという旅行は、「最高だった!本当に素晴らしかった」と振り返る。

Courtesy of Brooke Alexx
旅先では自然や、その国本来の風景が見られる田舎が好きだといい、車窓から見えた長崎の景色が特に気に入ったという。
東京でのライブは、「誰も来ないかもしれない」との不安に反し、当日は満席だった。
「『I’m Sorry Tokyo』がバズった頃に、日本から日本語のコメントがたくさん届いていたので、自分の音楽が日本に届いていることは知っていました。でもそのファンたちが、数年経った今でも私をフォローしてくれているかどうかは確信が持てなかったから、とても嬉しかったです」
ライブでは『I’m Sorry Tokyo』を含む計19曲を披露した。小規模の会場だったが、ファンは歓声をあげたり飛び跳ねたり、熱気に包まれた。

Yuko Funazaki / Huffpost Japan
かつて自分が持っていた日本ルーツへのコンプレックスについて書いた曲を、ここ東京で歌うのはどんな気持ちだったのだろう。
リハーサルの時には「感極まって泣きそうになった」というが、「数年前、自分自身についての思いに気づき始め、歳やキャリアを重ねていく中で書いた曲を、日本で満員の観客の前で演奏できるなんて、本当に感慨深い。すごく大きな達成感を得られました」と誇らしげに語った。
遅すぎることはない
歌詞では、「東京」に「ホーム(故郷)と呼ぶにはもう遅い?」と問いかけているが、実際に東京に来てどう感じたのだろうか。
「No。この旅で『決して遅すぎることはない』と学びました。言語を学ぶにしても、自分が『逃してしまった』と感じていることがあっても、それを学び、挑戦し、夢中になるのに遅すぎるということは絶対にない。それが今回得た教訓です」
そして、幼かった自分を許すことの大切さも強調する。
「当時はそれ以上のことを知り得なかった若き日の自分を許してあげること。後悔しているインナーチャイルドを癒やすことが大事だと思う。子どもの時はみんな、ただその場をやり過ごし、恥をかかないように必死なんです。大人になれば、それが分かるから」
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【アルバム情報】
Brooke Alexx 第2作目となるアルバム『Dream Girl』は8月28日にリリース予定

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