「忙しい」のではなく「止まれない」人たち
忙しく動いている間、私たちの注意は外の世界へ向けられます。
仕事をしているときは目の前の課題に集中し、誰かと話していれば会話に意識を向け、スマートフォンを見ていれば次々と流れてくる情報に注意を奪われます。
つまり、何かをしている間は、自分の内側に意識を向けずに済むのです。
ところが、予定が終わり、一人きりになり、スマートフォンも閉じて静かに座ると状況は変わります。
それまで外側に向いていた注意が、自分の内側へ戻ってきます。
すると、不安、寂しさ、怒り、悲しみ、焦り、満たされなさといった、普段は意識していなかった感情が浮かび上がることがあります。
心理学者は、こうした状態を避けるために、無意識のうちに「忙しさに走り続ける」人がいると説明しています。
何もしていないと落ち着かない、常に生産的でいなければならない気がする、一人で家にいるのが苦手、休もうとしてもすぐに何かを始めてしまうといった傾向です。
さらに、静かな時間にも音楽や動画、SNS、会話などの刺激を絶えず求める場合があります。
ここで重要なのは、「忙しい人はみな感情から逃げている」という話ではないことです。
仕事や趣味が好きで自然と活動量が多い人も当然います。
問題になる可能性があるのは、忙しくしていること自体ではなく、何もしていない状態になると強い不快感が生じる場合です。
では、なぜ自分の感情と一緒にいることが、それほど苦しくなるのでしょうか。
心理学者が一つの可能性として挙げているのが「幼少期の感情的ネグレクト」です。
これは必ずしも、虐待や育児放棄のような明確な出来事を意味するわけではありません。
たとえば、悲しんでいるときに「そんなことで泣くな」と言われたり、怒りや不安を表現しても取り合ってもらえなかったり、そもそも家庭内で感情について話す習慣がほとんどなかったりする環境も考えられます。
このような家庭で育つと、自分が今何を感じているのかを認識し、それに名前をつけ、適切に表現する経験を十分に積めない場合があります。
すると大人になってからも、感情が湧いたときに「これは悲しいのか、怒っているのか、それとも不安なのか」がわかりにくくなります。
だからこそ、立ち止まって自分の内側を見ることそのものが、不快で居心地の悪い時間になってしまうというのです。






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