
『台湾漫遊鉄道のふたり』(中央公論新社)著者:楊 双子
例えば、麻薏湯。麻袋の材料となる植物である黄麻の若葉で作った台湾のスープだ。〈黄麻の、繊維がまだ固くなっていない先端部分の葉だけを摘み取る。〉〈竹箕の上で程よい力加減で揉み、若葉を細かくくだいていく。時おり流水に晒して苦味を抜く。〉〈大きな鍋に水を沸かし、一口大に切ったさつま芋を好みの量入れ、強火で煮る。そこに揉み終わった麻薏の葉を、手でほぐしながら加える。翡翠色の塊が鍋の中でほどけ、広がっていく。〉
最後にお米の重湯を加え、スープは完成。それをご飯の上からかける。そうそう、おかずに鹹蜆仔と大根も忘れずに。そして、ぱくっと一口。
〈苦みの後に甘さが残るのは、お茶漬けと一緒ね。(……)大丈夫、これなら何杯でもいけるわ!〉
語り手の幸せそうな感嘆の声が長編小説のあちらこちらで響き渡る。そう、これは台湾から届いた「食レポ小説」。しかもなんと、植民地時代の台湾を食べ尽くすという、歴史に根ざした「食レポ小説」なのだ。
昭和十三年。日本の小説家、青山千鶴子のもとに台湾への招待状が届く。映画化され海を渡った自作についての講演のために青山は一年間、台湾に滞在する。北へ南へ旅する彼女は大の美食家。〈島への尽きせぬ興味〉に駆られる彼女の旅の目的は、台湾の生活を自分で味わうことにある。
青山千鶴子は帝国主義に対する抗いの思想を持つ女性だ。彼女は国家の〈南進政策〉のための文学的協力を断り、一人台湾にやってきた。帝国の政策を批判し、女性の尊厳を守る彼女が惹かれるのは虚飾に満ちた植民地の光景ではなく、台湾のリアルな味。ここで「食」は、侵略者が決して奪えない土地の真実を覗かせる大切な力を発揮するのだ。
さて、そんな彼女のお供をするのは現地の通訳、王千鶴。台湾の食事、慣習、歴史に精通した彼女が青山の、そして読者のガイドとして、それぞれの土地に染み込んだ文化の薫香を詳しく解説してくれる。そこから広がる馥郁たる香りが、台湾の人々が大切にしてきたアイデンティティを、いま、僕たちに確かに伝える。
美食を求める二人の千鶴は親しい関係性を育む。だが、帝国主義に抗う青山も、植民地のグルメを前にすると無邪気さを隠せない。彼女の無邪気さはオリエンタリズム(異国趣味)と紙一重だ。支配―被支配の構造をその関係に内包する二人の友情ははたして美しいのか、脆いのか。青山がその体験を小説として綴り、王が翻訳したという体裁の本作が導く結論に、二人の歴史の先に生きる僕たちは、文化と向きあうときのその居ずまいを正されるに違いない。
文化は歴史のなかで作られ、いま、消費されるのを待つ。そのとき僕たちは自分の背負うものに無自覚でいられるのか。この小説が突きつけるそんな問いを考える――その前に、ちょっとお腹を満たしてこようか。
【初出メディア】
週刊金曜日 2023年5月19日
わたしたちにとって大事なことが報じられていないのではないか? そんな思いをもとに『週刊金曜日』は1993年に創刊されました。商業メディアに大きな影響を与えている広告収入に依存せず、定期購読が支えられている総合雑誌です。創刊当時から原発問題に斬り込むなど、大切な問題を伝えつづけています。(編集委員:雨宮処凛/石坂啓/宇都宮健児/落合恵子/佐高信/田中優子/中島岳志/本多勝一)
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