「卑しい身分の者がやるもの」、NHK『風、薫る』でフユが突きつけた“余裕を失った暮らし”のリアルに反響【ネタバレ】

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見上愛、上坂樹里がW主演を務める連続テレビ小説『風、薫る』。田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社、2023年)を原案としたオリジナル作品で、激動の明治、看護の世界に飛び込んだ二人の“トレインドナース”を描く本作。

第8週で侯爵夫人・千佳子(仲間由紀恵)の信頼を得たりん(見上愛)は、手術が怖いと本音を漏らす千佳子に夜通し寄り添い、手術にも立ち会う。その見学のさなか、りんの目を引いたのが、手術介助を担うベテラン看病婦・永田フユ(猫背椿)の手際の良さだった。

「好きでやってるわけじゃない」不機嫌でぞんざいな看病婦・フユの切実な背景

フユは10年のキャリアを持つ古株の看病婦である。誰より作業が速く、誰より多くの仕事をこなす。だが、その態度はぶっきらぼうで、患者にもぞんざい。いつも不機嫌そうで、怒っているようにすら見える。看護婦見習いたちが看護の勉強で得た知識から新しいことを提案すれば、これ以上仕事を増やしてくれるなとばかりにうっとうしがる。直美(上坂樹里)も率直に言う。「感じ悪いし、患者に対してぞんざいだけど、作業は速くて誰より多くこなしてる」。近寄りがたく、感じの悪い人物ーーフユは終始、りんたち看護婦見習いからそう思われている。

だが、第9週が丁寧にすくい上げていくのは、その“不機嫌”や“怖さ”の奥にあるものだ。フユは、この仕事が好きでやっているわけではないと言う。看病婦は当時、行き場のない人がなる職業で、「卑しい身分の者がやるもの」とされてきた。賃金は安く、それでも女ができる仕事がほとんどなかった時代の、ぎりぎりの選択である。お金がないために息子を10歳で奉公に出し、足を悪くして働けなくなった夫を養いながら、仕事を終えて帰宅したあと、夜遅くに洗濯などの家事をこなすーーフユはそんな日々を送っていた。「お金がないから、亭主が足を悪くして仕方なく、恥をしのんでこの仕事についたの」。その言葉には、生活に追われて余裕を失った人の切実さがにじむ。

それでも、フユは目の前の仕事を懸命にこなしている。あの卓越した手際の良さは、生まれ持った器用さなどではなく、長年の努力の賜物だ。驚かされるのは、多忙のなかでも家で食器や布を手術道具に見立てて練習しているらしいことだ。生きるために就いた、好きでもないと本人が言う仕事に、なぜそこまでするのか。責任感の強さだけでは説明がつかない。本当はこの仕事が好きなのではないか――そう思わせる何かが、彼女の手つきには宿っている。ただ、それを認める余裕すら、いまの暮らしは彼女に許していないのだ。

だが、その努力と技術は、医師たちにはまるで伝わっていない。それどころか、医師たちは看病婦と看護婦見習いを分断させ、フユの10年の経験は、座学で学んだ“学問”の前に軽んじられていく。仕事に対しても、足の悪い夫に対しても責任を負い続け、誇りすら奪われながら、なお目の前の手を止めない。その姿は、見ているこちらが、いつ押しつぶされてしまうのかと案じてしまうほどに張り詰めている。

フユの夫・康介(じろう)の言葉には、「なんか」が貼りついている。「私なんか」「看病婦なんか」ーー自分を、妻の仕事を、その「なんか」で削り取っていく。足を悪くして働けない情けなさが卑屈さに変わり、自分だけでなく妻の職業まで蔑む言葉になって表れる。役に立たない、価値がない、と自らを値引きする口癖は、聞いているだけで胸が締めつけられる。

そんな康介に、りんは言う。「フユさんは看護婦なんか、と言われるような仕事はしていません」。手術介助が一番上手なのはフユであり、それは自分には一生できないことだと。そして、どうかご主人はご主人だけはいたわって差し上げてください、ご自分のことも「私なんか」などと言わないでください、と。一人の人間を「なんか」で切り下げる物言いに、りんは明確に抗おうとしている。

ただ「気の毒な弱者」ではない。猫背椿とシソンヌじろうが立ち上げる夫婦の空気

この週がすぐれているのは、こうした人物を、ただ気の毒な弱者としては描かないところだ。りんに手術介助を教えてくれと頭を下げられても、フユは「お金くれたらね」と冷ややかに月謝を要求する。だがそれは、性格が図太いからでも、ずる賢いからでもない。本当に余裕がないのだ。好意で人に何かを分け与えられるだけの余白を、生活がとうに奪ってしまっている。タダで教えるという選択肢を持てないほど追い詰められているーーその切実さこそが、あの言葉を言わせている。親のいない直美だけが、それを見抜く。「卑しいんじゃなくて、本当にお金なくて切羽詰まってるって考えないの?」。

この複雑な人物に確かな手応えを与えているのが、猫背椿という役者の頼もしさだ。不機嫌で、怖くて、近寄りがたい。けれどその一挙手一投足の奥に、生活の疲れと、それでも崩れない芯の強さと、誰にも気づかれない努力の痕跡がにじみ出ている。台詞で説明されるよりずっと前に、観る者はフユの背負ってきたものを身体から受け取ってしまう。憎まれ口の裏に確かな自負があり、ぶっきらぼうな手つきに10年の経験が宿る。その厚みに、猫背は抜群の信頼感で説得力を持たせた。

猫背は、19歳で松尾スズキ主宰の劇団・大人計画に入団した。宮藤官九郎脚本作品の常連として知られ、『タイガー&ドラゴン』(05年)の谷中鶴子など、市井に生きる女性を演じさせれば右に出る者がいない。

朝ドラ出演は、保母を演じた『ちゅらさん』(01年)以来、実に四半世紀ぶりとなる。派手な見せ場がなくとも、立っているだけ、手を動かしているだけで、その人がどんな日々を生きてきたかを伝えてしまう――永田フユという、説明の少ない、それでいて陰影に富んだ人物像は、まさに猫背のキャリアが丸ごと注ぎ込まれたような役どころだ。夫・康介を演じるのは、『まれ』『虎に翼』に続いて朝ドラ3作目となるシソンヌ・じろう。コントで培った独特の間が、卑屈さの奥にある康介の弱さと愛嬌をにじませ、あの貧しくも確かな夫婦の空気を立ち上げている。

やがて、りんと直美の言動が、少しずつフユと康介の心を解きほぐしていく。フユは手術介助を教えてもいいと言いだし、これを機に看病婦と看護婦見習いは互いの知識を教え合い、協力し合うようになる。だが第9週がいちばん深く刻むのは、その和解そのものよりも、好きでもないと言いながら誰よりこの仕事に手をかけてきた一人の女性の、奪われてもなお残った凄みのほうだ。ゆとりさえあれば、フユは「好き」と言えたのかもしれない。

猫背が体現したその姿は、この物語に、働くことと尊厳をめぐる重い問いを静かに残していく。

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