
北朝鮮政府が提供したこの写真には、2026年9月6日(日)、北朝鮮の元山港で行われた駆逐艦「康建」の就役式に出席する金正恩総書記とその娘が写っている。北朝鮮政府が配布したこの写真に写っているイベントを取材するために、独立系ジャーナリストは立ち入りを許可されなかった。この画像の内容は提供されたものであり、独自に検証することはできない。情報源から提供された画像には、朝鮮語の透かし「KCNA」と記されている。これは朝鮮中央通信社の略称である。(朝鮮中央通信社/AP通信経由)
By Andrew Salmon – The Washington Times – Thursday, September 10, 2026
【ソウル】北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記にとって、今週はまさに絶好調の1週間となった。
8日には、甲板上に大量の兵器を搭載した核兵器搭載可能な駆逐艦を就役させた。
9日には、豆満江をまたぐ道路橋をトラックが初めて渡った。これにより、北朝鮮とロシアの間の輸送手段は、既存の鉄道橋と海上輸送に加えて拡大した。
この日、北朝鮮は、正恩氏の祖父、金日成氏の下で建国されて78周年を迎えた。中国の習近平国家主席とロシアのウラジーミル・プーチン大統領は友好のメッセージを送った。
習氏との関係は一段と良好になり、ウクライナ戦争への支援の見返りにプーチン氏から全面的な支援を受け、トランプ米大統領も首脳会談の再開に意欲を示している。金氏の外交的な存在感は高まっている。
国内で反対勢力は確認されておらず、長らく低迷していた経済は成長している。実戦経験を積んだ通常戦力と拡大する核抑止力も相まって、正恩氏の支配は揺るぎないように見える。
しかし、このような「超安定」の状態が常に保証されてきたわけではない。韓国系ロシア人の著述家フョードル・テルティツキー氏によると、金王朝は幾度となく奈落のふちに立たされた。
そして、危機を繰り返し乗り越えたことが、体制をさらに強くしたという。
ソウルの高麗大学で北朝鮮を研究するテルティツキー氏(38)は、ロシアなどの複数の公文書館を調査し、こうした出来事を3月刊行の著書「Pyongyang on the Brink: Sixteen Crises That Shaped North Korea(仮訳:瀬戸際の平壌―北朝鮮を形作った16の危機)」で詳述している。
テルティツキー氏がワシントン・タイムズに語ったところでは、誕生したばかりの「金王朝」が直面した最大の危機は1950年秋に訪れた。6月に韓国へ侵攻した北朝鮮軍は大敗し、米国主導の部隊が反攻に転じた。平壌は陥落し、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは建国者の日成氏を見捨てた。
中国軍による大規模で衝撃的な介入が、日成氏とその国家を救った。
1950年末の世界を揺るがした形勢逆転は広く知られている。しかしテルティツキー氏によれば、日成氏とその息子、孫も数々の危機を乗り越えた。これはあまり知られていない。こうして危機を乗り越えたことで、「自己保存に取りつかれた極めて閉鎖的で抑圧的な世襲独裁体制、思想に忠実というより専制的な体制」は生き残ることができた。
テルティツキー氏はまた、現在の最高指導者を取り巻く唯一の危機についても詳述している。ただし、金氏一族が打倒される可能性については懐疑的だ。
1956年、ソ連で指導部の混乱が起きる中、日成氏は国内の抵抗に直面した。その対応には、権力を維持する能力が表れていた。
「1956年2月、モスクワでニキータ・フルシチョフがスターリンを糾弾し、ひどい指導者で、レーニン主義を裏切り、無能で、独裁体制を敷いたと非難した。朝鮮半島にもスターリンと似た境遇の人物がいた」とテルティツキー氏は語った。
ロシアと中国に関係のある朝鮮労働党中央委員会の幹部らは、反金日成決議を採択しようとした。中国とソ連の代表団も変革を促すため北朝鮮に入った。
日成氏は大粛清に乗り出した。生き残った関係者は国境を越えて逃れ、二度と帰国することはなかった。
テルティツキー氏は「ボスのフルシチョフ氏から退くよう圧力を受け、当然だが一歩退いた。そして再び前進した。粛清後、さらに強くなった」と指摘した。
反対勢力を排除した日成氏は個人崇拝を強め、巨大で国民生活に深く入り込む監視体制を構築した。また、息子の正日氏を後継者として育てた。
しかし、一部の軍人はこれをよく思っていなかった。
「グラスノスチ(情報公開)」が進む中、モスクワのエリート軍事教育機関フルンゼ軍事アカデミーで学んでいた北朝鮮人は、同級生からからかわれた。同級生らは北朝鮮を後進的で封建的な国だと批判した。
北朝鮮は士官候補生らを帰国させたが、彼らの忠誠心はすでに失われていた。
1992年、1981年に暗殺されたエジプトのアンワル・サダト大統領の事件を参考にしたとみられる計画が練られた。4月23日に平壌で開かれる恒例の軍事パレードで、戦車に搭載した機関銃を使って観閲台に銃撃を加える計画だった。
しかし、実行されなかった。
「砲塔に機関銃を備えていない、別の種類の戦車がパレードに送られたため、銃撃できなかった。計画は漏れ、大規模な粛清が行われた」とテルティツキー氏は語った。
日成氏は1994年に死去し、正日氏は危機を引き継いだ。
ソ連の崩壊によって北朝鮮の貿易は急激に縮小した。この経済的な惨事に加え、1994~1998年には気候条件の悪化によって飢饉が発生し、国民の10%が死亡したとみられている。
そうした状況下の1995年、北東部の都市・清津に司令部を置く第6軍団で、別のクーデター計画が持ち上がった。
テルティツキー氏は「大飢饉のさなかで、経済は崩壊していた。軍団の政治・保安担当幹部らは『立ち上がって清津を制圧しよう。そこには中国とロシアの領事館がある。その後、韓国に接触しよう』と話した。軍団司令官が『駄目だ』と言ったため、彼らは司令官を殺害した」と語った。
情報は平壌に伝わり、北朝鮮当局は信頼する冷酷な将軍を軍団司令部に派遣した。将軍は血なまぐさい粛清を開始した。その後、第6軍団は解体された。
大飢饉が終わった後も、正日氏には危機が残っていた。2004年4月、中国訪問を終えた正日氏の専用列車が通過してから数時間後、龍川の町を大規模な爆発が襲った。
老朽化したインフラが原因だとする見方もあり、切れた電線が肥料を満載した貨車の上に落下し、爆発を引き起こした可能性が指摘された。
しかしテルティツキー氏は、漏れ出てきた正日氏の発言を根拠に、暗殺未遂だった可能性が高いとみている。
2015年には、興味深い情報が浮上した。1956年の粛清を生き延び、中国や中央アジアを拠点としていた日成氏の側近らが、正日氏の列車の運行予定を入手し、爆発を計画したというものだった。
テルティツキー氏が著書で取り上げた16の危機のうち、正恩氏に関するものは1つだけだ。
正恩氏の体重は太り気味と極度の肥満の間を周期的に変化し、常にたばこを手にしている。2020年には数カ月にわたり公の場から姿を消した。
「山中の特別病院で治療を受けたとの報道があった。彼は非常に太っている。心臓発作を起こしたらどうなるのか」
韓国情報機関は、正恩氏の娘、13~14歳のジュエ氏が最高指導者になるための後継教育を受けているとみている。一方、テルティツキー氏は、北朝鮮国営メディアの呼称を根拠に、確信を持てないとしている。
同氏は「まだ決定は下されていないようだ」との見方を示した。ジュエ氏の名前は公表されておらず、肩書の「尊いお子様」だけが示されている上、父親の肩書とは違って太字で記されていないと指摘した。
1990年代には北朝鮮が崩壊するとの見方が広がったが、そうした予想はとうに消え去り、大幅な改革が行われる可能性もない。
「何も変わらない」とテルティツキー氏は語った。
1992年と1995年の出来事によって軍が萎縮しているため、再びクーデターが試みられる可能性は低いと同氏はみている。
外部からの情報を絶たれた北朝鮮国民に真実を知らせることを狙った情報戦を展開すべきだと提唱する活動家もいる。しかし、金王朝の支配下にある国民には、蜂起する力も指導者もない。
そのための指導者を育てることは、可能性としてはあり得る。
テルティツキー氏は「人々が脱出するのを助け、代わりとなるエリート層を育てるのはどうか」と語ったものの、「短期的にできることはほとんどない」と強調した。
中国が正恩氏を支えているのは恐らく、北朝鮮が中国にとって、北東部の民主主義諸国に対する権威主義的な緩衝地帯となっているためだ。
「中国が存在する限り、正恩氏はかなり安全だ。習氏は反体制派への弾圧を支援できるからだ。正恩氏にとって最悪のシナリオは、中国の傀儡国家となり、軍事力が一部削がれることだ」とテルティツキー氏は語った。

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