ロシアのウクライナ侵攻開始から4年。元新聞記者の近藤遼裕さんは2025年からウクライナを複数回訪ねて、戦争のある日常が当たり前と化した“戦時下の暮らし”を見つめてきた。今連載では、ロシア国境からわずか30kmに位置し、現在も攻撃が続くウクライナ第2の都市・ハルキウの現地ルポを3回にわたり届ける。
「生活」がすっぽり抜け落ちた街
陽が落ち始めた4月20日午後8時前。ハルキウ中心部にある大型モール「Nikolsky Mall」の入口前には、10代から20代前半くらいの若者たちが集まり始めていた。
タバコを吸う子、TikTokを撮影する子、ただ座って話している子。ざっと見ただけでも40人はいる。
少し離れた場所に座り、しばらく彼らを眺めていた。すると、5分もしないうちに強い居心地の悪さを感じ始めた。
一回りも若い子たちに囲まれているから——それだけではない。
彼らがまとっている空気そのものに強い違和感を覚えた。

Ryosuke Kondo
ウクライナ第二の都市と呼ばれるだけあって、街の骨格自体はしっかりしている。中心部には大型モールやスーパー、薬局、飲食店が並び、大通りには高層マンションが立ち並ぶ。
車も走っているし、人の往来もある。
一見すると、「戦時下の街」という印象はそこまで強くない。それでも、どこかがおかしかった。中心地から少し離れると、その違和感の正体が見えてくる。
圧倒的に、人が少ないのだ。
建物の数、窓の数、街の規模。そのわりに、生活の気配が薄すぎる。
ふと周囲を見渡しても、人影はまばらだった。アパートを見上げると、多くの建物で窓ガラスが割れたままになっている。上層階がえぐれるように壊れている建物もあった。
そこに街はある。
けれど、人々の「生活」だけがすっぽり抜けていた。

Ryosuke Kondo
滞在していたのは、中心部から徒歩20分ほど離れたアパートの一室。
バス、トイレ、小さなキッチン付き。ソファベッドにテレビ、洗濯機まで備え付けられている。
これで1泊7.5ポンド。日本円で1500円ほどだった。ロンドンなら、同じ部屋を借りるのに10倍近い金額が必要になるだろう。その安さにも、この街の現実が反映されている。

Ryosuke Kondo
突然の爆発音、地下への避難
GPSは相変わらず機能していない中、自分で一つだけ“拠点”を決めた。
Nikolsky Mallだ。
大型スーパーや飲食店、衣料品店が並び、週末のショッピングモールのように賑わう、ハルキウ中心部の中では、数少ない「人の熱量」を感じる場所だった。
もし道に迷っても、とりあえずここまで戻ればいい。GPSが使えない街で、このモールだけが自分にとっての“現在地”だった。
昼間はモールを中心に歩き回っていた。独立広場へ向かう大通りには、スーパーやパブ、カフェ、日本のアニメグッズを扱う店まで並んでいる。人通りも少なくはない。
歩いている最中、何度も警報が鳴った。
だが、立ち止まる人はほとんどいない。犬を散歩している人。手をつないで歩く若いカップル。ベンチで談笑する老夫婦。
警報は、まるで街の環境音の一部になっていた。
自分自身もその頃には少しずつ慣れ始めていた。ハルキウに来て、まだ2日目だった。
ハルキウでは、国外資本の飲食チェーン店がほとんど閉業している。マクドナルドやスターバックスが良い例で、店舗自体は残っているが、どこも営業はしていなかった。
後で調べると、多くのチェーン店が撤退しているらしい。その光景を見るたびに、「ここは前線に近い街なのだ」と思い出させられる。
独立広場の近くでは、子どもたちが遊具で遊んでいた。警報が鳴っている最中でも、そこには普通の日常がある。コーヒーを片手に広場を歩き、「次はどこへ行こうか」と考えていた、その時だった。
バンッ——。
遠くの方で爆発音が鳴った。
遠くと言っても、身体が反射的にビクッとするには十分すぎる大きさだった。
慌ててスマートフォンを確認すると、見慣れない通知が表示されていた。
「Explosion reported」
その文字を見た瞬間、一気に緊張が走る。さすがに周囲の人たちも爆発音がした方角へ目を向ける。ほんの数秒だけ、街の時間が止まったように見えた。
だが次の瞬間には、また何事もなかったかのように日常が動き始める。犬は散歩を続け、カップルは会話を交わし、老夫婦はベンチに座ったままだった。爆発音さえ、この街の日常の中に組み込まれているように見えた。
自分は近くの地下鉄へ避難した。
そこには実際に避難している人たちもいた。若い女の子のグループや、小さな子どもを連れた家族。少し安心した。
「ああ、ちゃんと避難する人もいるんだ」そう思った。
10分ほどすると、人々はまた地上へ戻っていく。避難解除は、まだ出ていなかった。

Ryosuke Kondo
モールの広場に集う若者たちの“空気”
その日の行動を終え、モールに戻ってきたときに目に入ったのが冒頭に書いた若者たちだった。
彼らは長居をするわけではない。次から次へと別のグループがやってきて、何人かとハグを交わし、少し話しては去っていく。
そのハグが、どこか「生存確認」のように見えた。明日もまた、ここで会える保証はない。そんな空気が、彼らの間には流れていた。
その中の一人と少しだけ話をした。17歳の青年だった。
彼の家は、3年前の空爆で壊れたという。今は家族で祖母の家に移り住んでいるらしい。学校の授業はオンライン形式だが、毎日受けているわけではないと言っていた。それでも、彼は毎日ここへ来て友達と会うのだという。
その話を聞いて、ようやくこの居心地の悪さの正体に気づいた。
彼らが発していたのは、「ここは自分たちの場所だ」という空気だった。ここは、彼らにとっての居場所なのだ。
エアアラートが鳴る毎日も、学校へ通えない日々も、自分の将来やこの国がこれからどうなるのかという不安も、ほんの少しだけ忘れられる場所。
タバコを吸い、TikTokを撮り、友達と笑い合う。その数時間だけは、戦争が少し遠くなるのかもしれない。
少し離れた場所から眺めていると、その輪は自然にできているようでいて、不思議と外から入り込める雰囲気はなかった。そこには、彼らだけが共有している時間が流れているように感じた。
彼らがまとっていた空気は、決して「入ってくるな」と拒むようなものではない。
ただ、自分にはまだ、その時間の中へ足を踏み入れるだけの覚悟も関係性も持っていないのだと、突きつけられているような気がした。
(この記事はnoteに投稿されたルポを編集・転載しています)

2 時間前
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