発見されたばかりの「未知の光」に魅了されたエジソン
1895年11月、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンは、とある実験中に奇妙な現象を発見しました。
陰極線管(※)を黒い厚紙で覆っても、離れた場所に置かれたスクリーンが蛍光を発したのです。
(※ 陰極線管とは、ガラス管の中の空気をほとんど抜き、電気を流すことで電子を飛ばす装置)
レントゲンが詳しく調べると、この未知の光線は紙や木材、人体の軟らかい組織などを通り抜ける一方で、骨や金属の影を残すことが分かりました。
彼は正体が分からないことを示すため、この光線を「X線」と名付けます。
1896年1月23日にレントゲンが撮影した手のX線写真/ Credit: ja.wikipedia体を切り開くことなく、その内部を見られるという発見は、世界中の科学者や医師を熱狂させました。
この知らせを聞き、すぐにX線の実験に乗り出した人物の1人が、発明家トーマス・エジソンでした。
米ニュージャージー州にあったエジソンの研究所では、電灯や蓄音機、映像装置など、後の社会を変える技術が研究されていました。
クラレンス・ダリーも、この研究所で働いていた人物です。
1865年にニュージャージー州で生まれたダリーは、ガラス職人の家族のもとで育ちました。
10代でアメリカ海軍に入り、6年間の勤務を終えた後、父や兄弟とともにエジソン・ランプ・ワークスで働くことに。
その後、24歳ごろにエジソンの研究所へ移り、白熱電球の実験に必要なガラス管の製作などを担当しました。
X線が発見されると、エジソンは蛍光物質を利用して体内を観察する「蛍光透視鏡」の開発を始めます。
蛍光透視鏡とは、X線を当てた物体の像を蛍光板に映し出し、その場で骨や異物の位置を観察する装置です。
エジソンは「タングステン酸カルシウム」という物質がX線を受けると強く光ることを見いだし、より明るく見やすい蛍光透視鏡の開発を進めました。
ダリーは、その装置に使うX線管の製作や性能試験を任されました。
しかし当時は、放射線量を正確に測る装置も、作業者を守るための明確な安全基準も存在していませんでした。
ダリーが管の性能を確かめる方法は、自分の手をX線管と蛍光板の間に置き、骨がはっきり見えるか確認するというものだったのです。
エジソン(手前)が透視装置を使い、X線で手を検査している様子。奥がダリーとされているが、他の人物の可能性もあるという / Credit: en.wikipedia彼はこの作業を、数年間にわたって何度も繰り返しました。
1896年にはエジソンとともにニューヨークの展示会へ参加し、一般の観客に蛍光透視鏡を実演しています。
見物人たちは列をつくり、装置をのぞき込んで、自分の手の骨が映し出される光景に驚きました。
X線は、まるで人間に「透視能力」を与える新技術のように見えたのです。
しかし、その華々しい実演の裏側で、ダリーの皮膚や細胞には目に見えない損傷が蓄積していました。
当時すでに、X線を浴びた人の皮膚に炎症や脱毛が起きる事例は報告されていました。
眼への悪影響を警告する研究者や、遮蔽物を使うよう勧める医師もいました。
それでも、X線が持つ医学的な可能性への期待はあまりにも大きく、その危険性は十分には重視されませんでした。






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